戦略人事の鍵となるCHROとHRBPに求められる「質」とは
【内容に関するご照会先:ページ下部の「お問い合わせ」または(TEL:050-5474-6670)までご連絡ください】
1.はじめに
人的資本経営の重要性が高まる中、戦略人事におけるCHRO(Chief Human Resources Officer)とHRBP(Human Resource Business Partner)の役割が注目されている。しかし、両者の設置状況に目を向けると、導入が進んでいるとは言えない状況にある。本稿では、人的資本経営の実践に向けて企業が取組む人材情報基盤の整備の観点から、戦略人事の概念に基づきCHROとHRBPの役割について考察する。
CHROとは「経営陣の一員として人材戦略の策定と実行を担う責任者であり、社員・投資家を含むステークホルダーとの対話を主導する人材」のことである1。企業によってはCHO(Chief Human Officer)やCPO(Chief People Officer)といった呼称を使用する場合もある。他方で、HRBPは「CHRO のもとで事業部門やコーポレート部門等と幅広く連携し、事業戦略の観点から様々な人事施策を立案・実行する役割」のことである2。両者は、経営戦略と連動した人事戦略を策定し実行する戦略人事において重要な役割を担っている3。
2.CHROとHRBPの導入状況
経済産業省の「持続的な企業価値向上に関する懇談会(座長としての中間報告,2024年6月)」の中でCHROがその機能を遂行するためにはHRBPの役割が大きいことが指摘されるなど、「CHRO・HRBP 機能の強化」が論点として取上げられている。しかしながら、両者の存在や機能強化の重要性が明確に示されてきたにもかかわらず、企業での導入は進んでいない。人的資本経営コンソーシアムが2024年に会員企業の経営層を対象に調査した結果によると、人事部門の強化に向けて行っている取組みとして「CHROの設置」や「HRBPの設置」と回答する企業は3 割にとどまる一方で、「人材情報基盤の整備」と回答した企業が約7割にのぼった≪図表1≫。人事機能の強化を目的に、CHROやHRBP を設置する企業は少ないのが現状だ。
では、最も回答の多かった「人材情報基盤の整備」とは何のために行われているのか。既出の調査から「人材情報基盤を整備する取組を実施」する企業が従業員から収集したデータをどのように活用しているかに関する設問の回答を見ると、「従業員の異動配置の検討」(82.4%)や「従業員のスキル・能力の把握」(78.2%)といった回答が多い4。経済産業省「人材版伊藤レポート2.0」では「人事情報基盤の整備」との用語として、「CEO・CHRO は人材関連の改善KPI についての情報や、社員のスキル・経験等の特性を示す情報を常に整備し、人材戦略の実現に関するタイムリーな意思決定を支える」ものと整理している5。

これらを踏まえると、企業が人材情報基盤の整備に取組む主な目的は、従業員のデータを収集し分析することで、従業員のスキルや能力を把握し、より能力発揮が期待できる異動や配置を経営層が迅速かつ戦略的に検討できるようにするためであると考えられる。CHROには「人事部門がデータを効率的に収集・分析できるよう、人事部門の社員の育成を図る」ことが求められており6、そのデータを分析し戦略的活用ができるように事業部門と連携しながら戦略人事の推進をサポートするのがHRBPの役割であろう。したがって、従業員のデータを収集して人材情報基盤の整備に取組むのであれば、それを活用し戦略人事に活かしていくことのできる体制の整備が不可欠である。そのために、CHROやHRBP を設置することが必要ではないだろうか。そのうえで重要なことは、両者が戦略人事を効果的に実行し推進していく能力を備えていることであろう。そこで本稿では、戦略人事におけるCHROやHRBPに求められる能力について「質」の観点から考察をおこなう。
3.戦略人事における「デリバラブル」の概念
まず、戦略人事とは戦略的人的資源管理のことを意味する。人事分野の研究領域では、従前よりUlrichの提唱する「Deliverable(デリバラブル)」の概念が注目されてきた。これは、人事部門が果たす意義を考えるうえで重要な視点を提供している。「デリバラブル」とは「何を行えるか」ではなく、「何を達成できるか」という考え方であり、Ulrichは「価値を生み、成果を出すためには、人材経営専門職は、人材経営に含まれる活動や職務を重視するのではなく、それらの仕事の生み出す成果に眼を向けるべき」と提唱している7。また、この概念をもとに、人事部門の役割について人事が備える視点を縦軸に、活動を横軸に置いて整理している≪図表2≫。人事部門には、長期的かつ短期的な視点を重視しながら、戦略と日常業務の両面における成果達成が求められており、プロセスのマネジメント(人材経営の手法やシステム)から人材のマネジメントまでの広範な活動をすることが必要だとされている。これは戦略人事が達成すべきタスクとそのためにおこなうべき活動であり、それはつまり、CHROやHRBPに期待されている役割と活動を示しているとも言える。

4.CHROとHRBPに求められる「質」
前述したように、人事部門、ひいては戦略人事に求められる意義を踏まえて、CHROとHRBPにはどのような「質」が求められるのか。両者の質に関する海外の研究をもとに考えてみたい。
Engels, Fischer-Kreer, & Brettel(2022)は、S&P500指数に上場する米国企業を対象とした分析で、CHROの勤続年数と企業の社会的パフォーマンスの間には負の相関関係があるが、CHROとしての在職年数の長さと社会的パフォーマンスには正の相関があることを示している8。これは、CHROとしての在職年数が長い者は、自社だけでなく他社でもCHROとしての経験を積んできた場合が多いため、CHRO業務に関する豊富な知識を蓄積しているためだと考察されている9。また、同論文では、いくつかの文献をもとに、自社勤続年数が長いCHROほど、現在の自社の採用戦略や研修制度、定着プログラム、報酬制度に疑問を抱きにくい可能性や、自社の社会的パフォーマンス指標に客観的な視点を求めることや同業他社と比較するベンチマークが難しい可能性に言及している10。同一企業での勤続年数が長くなれば、その企業の制度や慣習が当たり前となってしまい、問題点に気付きにくい。自社だけでなく、複数企業でCHROとして勤務した経験がある方が、同業他社と比較した課題を客観的に捉えることができ改善策につなげやすい可能性があるということだろう11。
HRBPについてSun(2019)は、中国企業におけるHRBPの中には、人事分野では非常に優秀だが、ビジネスについて学ぼうとしない者もいるとし、最終的に事業部門の実務と戦略の間に断絶が生まれることを指摘する12。また、Wash(2023)は、文献調査をもとに戦略的HRBPコンピテンシー(高業績者が持つ行動特性)として、組織の業務や機能、外部のビジネス環境を理解できるビジネス感覚に加え、デジタル化やデータ分析などへの適性、リレーションシップマネジメントやコンサルティングなどの能力の必要性を指摘する13。HRBPには、人事領域や自社事業の知識のほか、人事データ分析の活用による意思決定の支援や事業部門とのリレーション構築力、発生した問題への対応スキルなど、非常に幅広い能力が求められている。
これら研究の示唆をもとに両者に求められる能力をまとめる。CHROには、複数企業での経験があり職務に精通していること、さらに同業他社と比較して客観的な視点から自社の問題点に気付くことのできる能力が必要である。HRBPには、人事の専門知識に加えて自社の業務を理解できるビジネス感覚やデータ分析、経営層や事業部門と連携し、ビジネス上で発生した問題に対応できる広範な能力が必要だ。両者にはそうした能力を活用し、従業員のデータをもとに、長期の戦略と短期の両視点から成果を目指し、企業の人材マネジメントから人事プロセスまで広範囲の業務役割を担うことが求められる。
5.今後導入をする企業に求められる「質」の確保
前掲の≪図表1≫の調査結果に示されるように、CHROとHRBPをすでに導入している企業は少ない。それでは、今後の導入予定についてはどうなっているのか。日本の人事部が2024年に実施した調査によると、CHROやHRBPの設置について「いないがこれから設ける予定」と回答する企業は1割程度しかなく、準備や検討中と思われる企業も少ない≪図表3≫。「現在もおらず、今後も設ける予定はない」と回答した企業は全体の6割以上である。

今後導入を予定している企業においては、CHROやHRBPの「質」を十分に検討することが重要だ。特に、社外から多様なキャリアを持つCHRO人材の採用を検討すること、人事の専門知識に加えて自社の業務を理解できるビジネス感覚やデータ分析、経営や事業部門とのリレーション構築、問題への対応力を持つHRBP を社内外から登用するなどの検討が必要であろう。すでに、CHROやHRBP を導入している企業においては、両者の果たす役割の質を高めるために、知識やスキルなど育成の機会を設けることが求められる。今後も導入を予定していない企業では、いきなり導入議論に入る前に、人事部門が達成すべき成果が何か明確にすることが肝要だ。戦略人事において両者を導入する意義や必要性を十分に認識し、それに合致した人材を確保することを勧めたい。
「日本の人事部人事白書2024」調査を見ると、人事部門に求められるゴール(目標)が定義されている企業の割合は約4割と半分にも満たず、多くの企業では人事部門の成果が明確にできていない14。いずれの企業においても、CHROにどのような成果を求め、設置によって何を達成したいのか明確にすることは、CHRO導入前に検討しておくことが必要だ。その際には、CHROが戦略を検討するうえで必要となる従業員の人事データが整備されているのか、そのデータを適切に分析・解釈し、事業部門と連携できるHRBPの存在があるかどうかが重要な要素となる。また、こうしたCHROやHRBPに求められる能力のバランスは、企業の業種や業態などによって異なると考えられるため、企業の実情に応じて、必要なスキルセットを持つ両者を選択し育成することが求められるだろう。
6.おわりに
本稿では、企業の人事機能の強化に向けた取組みとして多い人材基盤情報の整備の観点から、戦略人事における「デリバラブル」概念に基づき、CHROやHRBPの役割の考察をおこなった。
人事の役割は「何を行えるか」ではなく、「何を達成するか」が重要である。例えば、日立製作所では、ジョブ型人事導入の事例の中で「組織の戦略から逆算し、在るべき姿から各部署におけるポジションを設定する手法については、経営側の部署に対する『このミッションを果たしてほしい』との視点と、それを実行するための人事部門のサポートが重要」としている15。企業の将来像を実現するためにどのような道筋、現在があるべきかを考え、戦略人事の必要性、CHROやHRBPの役割を再考することが必要である。不確実性の高い環境下では、従業員のデータを収集して人材情報基盤の整備をしたうえで、データを単一的な解釈ではなく、事業部門と連携しながら、より未来志向で捉えて戦略人事に活かす力が求められるであろう。
雇用流動化やジョブ型人事が進むなか、従業員の評価や報酬の仕組み、人事部門から現場への権限移譲など、企業の人事部門の果たす役割が変化し、より一層戦略的な人材配置や活用を強化する必要性に迫られている16。CHROやHRBPの導入は、戦略人事を実現するための重要な選択肢となり得る。これらの役割の本質的な意義と必要性を認識することで、企業の持続的な成長と競争力の向上の達成につながるのではないだろうか。
- 経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~」(令和4年5月)
- 一般社団法人日本CHRO 協会「HRBP 開発プロジェクト2.0」
- 一般社団法人日本能率協会「日本企業の経営課題 第44回 当面する企業経営課題に関する調査 2023」によれば、組織・人事領域の課題として最も上位に来る課題は「経営戦略と連動した人事戦略の策定と実行」である。
- 人的資本経営コンソーシアム事務局「人的資本経営に関する調査結果」(2024年6月20日)「人材情報基盤を整備する取組を実施」とは、「対応策を実行している」、「対応策を実行済みであり、かつ、その結果を踏まえ必要な見直しをしている」、「実行した結果として、成果創出に明確に寄与している」を選択した企業の回答のことである。
- 経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~」(令和4年5月)
- 脚注5同様。
- デイビッド・ウルリッチ『MBAの人材戦略』訳者: 梅津祐良( 日本能率協会マネジメントセンター, 2003年)
須田敏子(2023)「ウルリッチ『MBAの人材戦略』」(日本労働研究雑誌 4月号, No.753) - Engels, N., Fischer-Kreer, D., & Brettel, M. (2022) . CHRO firm dinosaur versus CHRO role gorilla: the effect of CHRO company and role tenure on firms’ social performance. Journal of Business Economics, 92, p929–954.
ここでの「社会的パフォーマンス」とは、Thomson Reuters の社会的パフォーマンススコアに依拠しており、ESGパフォーマンスの一部である。(1)顧客の製品責任、(2)社会のコミュニティ、(3)社会の人権、(4)従業員の多様性と機会、(5)従業員の雇用の質、(6)従業員の健康と安全、(7)従業員のトレーニングと能力開発の7項目で構成されている。 - 出典は、脚注8同様。
- 出典は、脚注8同様。
- 日本経済新聞「パナHD 木下執行役員「キャリア採用増で内向き打破」」(2024年7月24日)
例えば、米ゼネラル・エレクトリックの日本法人やメルカリなどで経験をする木下達夫執行役員は、2024年7月にCHROに就任し、内向き志向と見られがちな社風を刷新することなどを語っている。 - Sun, M., (2019). Application Status and Problems of HRBP Mode in China. Advances in Economics, Business and Management Research. 109, p653-656.
- Wash, G. L. (2023). Strategy and competencies for future-ready business and HR business partners: A conceptual analysis. International Journal of Research in Human Resource Management, 5(1), p11-20.
- 『日本の人事部 人事白書2024』において、経営戦略を実現する上で、人事部門に求められるゴール(目標)が定義されているかどうかの問いに対する「当てはまる」(8.9%)、「どちらかといえば当てはまる」(28.9%)の合計回答(37.8%)
- 内閣官房 経済産業省 厚生労働省「ジョブ型人事指針」(令和6年8月28日)
- 脚注15同様。
PDF:MB
PDF書類をご覧いただくには、Adobe Readerが必要です。
右のアイコンをクリックしAcrobet(R) Readerをダウンロードしてください。
