2019年8月、中国がデジタル通貨発行(CBDC)の準備が整ったと報道された。9月に中国人民銀行の易鋼総裁は、CBDCについての研究を前向きな成果が出ていると初めて言及した。CBDC発行によって国内では資本移動情報の捕捉、国外では人民元の国際化を企図していると考えられている。後者の人民元の国際化については短期的な達成は難しいであろうが、一帯一路諸国などを通じて中長期的には幅広く流通する可能性がある。こうした動きは基軸通貨をもつ米国との新たな火種になるとも指摘されている。
1.中国によるデジタル人民元発行
2019年8月に中国の中央銀行である中国人民銀行は、独自のデジタル通貨を発行する準備が整ってきたと報道された1 。中央銀行が発行するデジタル通貨(CBDC:Central Bank Digital Currency)2 については各国で研究・議論がされているが、主要国で発行に踏み切った例はなく、大きな注目を集めている。
9月に入り、中国人民銀行総裁である易鋼氏は会見で具体的な発行のスケジュールはないとしながらも、2014年から専門チームでCBDCの研究をしていることを紹介し、前向きな成果が出ていると述べた3 。この会見では、発行の狙いは現金の一部を代替すること、枠組みについては中国人民銀行が発行したCBDCを商業銀行や決済事業者を通じて流通させる方針であると述べた。上記を基に、既に中国で浸透しているAlipayやWeChatPayなどのモバイル決済を用いてCBDCが供給され、銀行口座を介さずに決済できるようになるという見方が多い4 (図表1)。この場合、利用者はCBDCに切り替わった影響を強く受けることはないとみられる。
(出典)SOMPO未来研究所作成
一般にCBDCの発行のメリットは現金にまつわるコストの削減、脱税やマネーロンダリング防止などが挙げられる5 。一方、中国はこれらの目的に加え、国外への資本流出などの資金移動情報の管理を目的としていると見る向きもある6 。現在においてもAlipayやWeChatPayなどは中国人民銀行が設立を認可した「網聯(ワンリェン)」というプラットフォームを通じて決済するように定められており、当局の管理下にある7 。現金がCBDCに置き換わっていくことで、一層資金移動の捕捉が容易になる。また、不動産市場の過熱を防ぐためにCBDCが不動産市場に流入しないように設計することができるといったメリットもある。
2.中国はLibraの背後にあるドルを警戒
前述の易鋼総裁の会見では、CBDCに関し海外での利用を視野に入れた発言もあったことから、中国がCBDCを発行する狙いの1つには人民元の国際化があると見る向きも多い8,9 。中国にとって米国との対立における弱点の1つが人民元の国際化の遅れである。貿易・投資などの国際決済でドルの比率が高いままでは米国による金融制裁の発動で中国は窮地に立たされる10 。人民元は2016年に中国の実体経済面の響力拡大と中国政府の後押しもあり、国際通貨基金(IMF)が設定する通貨バスケットSDRの構成通貨に採用されるなど、主要通貨として認識され始めている。しかし、2019年8月時点での国際決済における人民元のシェアは2.2%11 と、中国の世界に占めるGDP(18.7%12 )や貿易額の割合(11.6%13 )に比べて極めて小さい。思うように進んでいない人民元の国際化をCBDCで打開したいとの意向があるとみられる。なお、CBDCではデジタル制御が可能になるため、これまで不可能であった資本管理と人民元の国際化のバランスを取ることが可能になるという指摘もある14 。
中国は2014年からCBDCの研究を開始し、2017年には中国人民銀行デジタル通貨研究所も設立しているが、2019年8月のタイミングでCBDCについての発表を行ったのは、Libraの存在が大きいと考えられる。中国人民銀行研究局の王信局長は7月の講演で、「ドルと密接に関連した通貨の台頭はドルとの共存ができるだろうが、実質的には経済や財政、国際政治の面で米国が世界を牛耳るということになるだろう」と警鐘を鳴らした15 。Libraが普及すれば、価値の安定性から国内の人民元でLibraを購入しようという動きが出る可能性があり、厳しい資本管理を行いたい中国政府にとっては大打撃となる16 。一方、Libra構想を主導しているFacebookのザッカーバーグCEOは米国の公聴会で、Libraが停滞している間に中国が迅速に動くだろうと指摘している17 。また、中国人民銀行関係者からも中国のCBDCはLibraと類似したものになると発言しており18 、中国はLibraより先に発行・流通を急ぎたいものとみられる。
ただし、通貨の国際化にあたっては自由な資本取引が必要になる。中国政府は資本取引の自由化や変動相場制への移行、金利の自由化を目標としているが、現時点では道半ばであり、今後の進捗が注目される。
3.人民元の国際化
(出典)SOMPO未来研究所作成
デジタル人民元が発行された場合、中国国内ではAlipayやWeChatPayが既に普及していることから、これらの決済手段を通じてCBDCの流通は進展し、目的の一つである資金移動情報の捕捉は達成されるとみられる。
中国国外での人民元利用については国家や企業間(ホールセール)決済ではすでに、取り組みを進めてきている。CBDC発行によって後述の通り、他国内での個人間(リテール)決済にもアプローチができるようになるため、人民元の国際化が進む可能性がある(図表2)。
(1)個人間決済(リテール)
Libraと競合関係にあるリテール分野においては、中国がアフリカなどの金融システムが未発達の国に対して、AlipayやWeChatPayなどの決済インフラを輸出し、中国が発行したCBDC(デジタル人民元)を流通(現地化)させることも考えられる。
現行のこうした決済手段は、中国に銀行口座を保有する必要があるが、デジタル人民元は銀行口座を介さずに取引できるようになるため19 、中国国外においても利用が可能になる。
世界で銀行口座を保有していない成人は約17億人存在しており、金融システムにアクセスできないことが問題となっている20 。デジタル人民元の導入国は決済システムの導入コストを抑えて国民に金融へのアクセスを提供できる一方で、中国は決済データを収集することができる。中国国外の決済データの収集は中国が尽力しているAIの開発に大きく寄与する。
(2)国家や企業向け(ホールセール)決済
中国国外でデジタル人民元を流通させるには一帯一路21 がカギを握るという意見が多い22 。
一帯一路における金融支援の役割を担うアジアインフラ投資銀行(AIIB)やシルクロード基金の地域国への融資はドル建てが基本となっているが、これを人民元建てにするという手段がある。中国人民銀行の前総裁が一帯一路フォーラムの中で、ドルなどの第三国通貨でなく現地通貨と人民元の積極的な使用を呼び掛けている23 。同プロジェクトにおける投資の大部分は中国国有企業によって行われているため、中国政府の意向を反映しやすく、デジタル化にかかわらず沿線国では緩やかに人民元の使用が広がっていくとみられる。
ここに中国がデジタル人民元を導入することによって、国際送金コストが大幅に下がるとともに現在は2~4日を要する送金日数の大幅な短縮が見込まれる。現在はドルを中心とする国際的な金融・決済システムが形成されており、短期的な人民元へのシフトは想定しづらい。しかし、中長期的には最大の貿易相手が中国である一帯一路沿線国の多くで、海外送金コストや所要日数の削減のためにドルに替えて人民元を採用しようという動きが出てくるかもしれない。なお、中国はこうした国に対して現地通貨と人民元の通貨スワップ締結も進めており、国家制度が脆弱で自国通貨が不安定な国に関しては人民元へのシフトは魅力的に見えるだろう。上記で述べた国内の個人間決済(リテール)においてデジタル人民元が普及している場合はなおさら人民元への移行が容易になる。
4.おわりに
国際通貨として人民元へのシフトは緩やかに進んでいくと考えられるが、IMFが指摘するように通貨のシフトは閾値を超えると指数関数的に加速し始めるため24 、デジタル人民元をめぐる動向には注意を払うべきであろう。
デジタル人民元発行の結果として将来的に元の国際化が進んだ場合、現在の国際送金インフラであるSWIFT(国際銀行間通信協会)など欧米の銀行システムを経由しない取引が可能になるとの見方もある25 。これにより、イランやロシア、北朝鮮など米国が金融制裁を課している国への制裁の影響力が弱まる可能性がある26 。
Forbes, “Alibaba, Tencent, Five Others To Receive First Chinese Government Cryptocurrency”, Aug 27, 2019
日本銀行はCBDCを次の3要件を満たすものとしている。(1)デジタル化されていること、(2)円などの法定通貨建てであること、(3)中央銀行の債務として発行されること。日本銀行「中央銀行発行デジタル通貨とは何ですか?」
日本経済新聞「デジタル人民元「発行時期は未定」中国人民銀総裁」(2019年9月24日)
ロイター「コラム:中国発デジタル通貨CBDCの忍び寄る影=大槻奈那氏」(2019年9月13日)
柳川範之、山岡浩巳(2019)「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズ
野口悠紀雄「「デジタル人民元」で中国は世界のビッグブラザーになる?」、(現代ビジネス、2019年9月19日)
日本貿易振興機構(ジェトロ)「「WeChatペイ」「アリペイ」など第三者決済への規制強化」(2018年)
木内登英「中国の中銀デジタル通貨と三つ巴の通貨覇権争い」(2019年10月4日)
HERO Stocks, “China’s Digital Currency Is Its Most Important Attempt To Globalize The Yuan”, September 18, 2019
前掲注 8
SWIFT, “RMB Tracker”, September 2019
IMF, “World Economic Outlook Database, October 2019”, Gross domestic product based on purchasing-power-parity (PPP) share of world total より 2018 年データ。
IMF, “Direction of Trade Statistics”より、2018年の輸出入総額。
World Economic Forum, “Is China about to launch its own cryptocurrency?”, October 15, 2018
South China Morning Post, ”Facebook’s Libra forcing China to step up plans for its own cryptocurrency, says central bank official”, July 8, 2019
野口悠紀雄「リブラの破壊力とお金の未来」、日経ビジネス 2019年9月30日号
NHK「FB リブラ先送りも「中国が同様の構想打ち出す」必要性訴え」(2019年10月24日)
Reuters, “China says new digital currency will be similar to Facebook’s Libra”, September 6, 2019
Binance Research, “First Look: China’s Central Bank Digital Currency”, August 28, 2019
The World Bank, “The Global Findex Database 2017”
一帯一路とは2014年に習近平が提唱した経済圏構想。中国西部から中央アジアを経由して欧州につながる「シルクロード経済ベルト」と中国沿岸部から東南アジア、スリランカ、アラビア半島の沿岸部、アフリカ東岸を結ぶ「21世紀海上シルクロード」の2地域でインフラ整備、貿易促進を目指す。
前掲注 14
露口洋介「「一帯一路」と元の国際化」、Science Portal China(2017年5月25日)
IMF「中央銀行とフィンテック – 素晴らしい新世界?」(2017年9月29日)
CCN, “China’s Crypto Could Become a Global Reserve Currency: Circle CEO”, September 13, 2019
日本経済新聞「人民元、ドル覇権に一石 独自決済網89カ国・地域に」(2019年5月19日)