遺伝子検査に関する技術が進歩してきており、癌の治療法選択や様々な疾患リスクの予測などに用いられている。一方で、遺伝子についての研究が進むにつれ、遺伝子の型が同じであっても人種や民族等の集団の違いによって疾患の発症リスクが異なることも明らかになっている。しかし、多くの人種や民族の人々を含んだDNAデータベースが構築されておらず、ヨーロッパ系以外の方の予測精度が低いなど、あらたな人種間格差が生じかねないという懸念・課題も生じている。
1.はじめに
疾患リスクの予測にも用いられている遺伝子検査が普及してきている。例えば、米国では2018年2月までにDTC遺伝子検査1 の利用者が累計1,200万人に上るなどブームとなっている2 。
本稿では、普及によって保険にも影響してくることが想定される遺伝子検査に関して、解析技術の進歩および課題について概説する。
2.遺伝子解析技術の進歩
以前は特定の遺伝子変異を検出することが中心であった遺伝子解析は、技術の進歩に伴って、より包括的に遺伝子変異の組み合わせを解析し、疾患等への影響を分析出来るようになってきている。
(1)SNP(single nucleotide polymorphism:一塩基多型)
【出典】科学技術振興機構Webサイトより一部抜粋
SNPの解析は、DTC遺伝子検査でもよく用いられているものである。SNPとは1%以上の頻度で他人と異なる1塩基単位での多型(多様性)のことであり、SNPの型と特定の疾患の発症しやすさや肥満などの体質について関連性が分析されている。
例えば、≪図表1≫は、とある人の遺伝子において塩基がG(グアニン)となっている箇所について、別の人の塩基がT(チミン)と異なっており、この違いが様々な影響を及ぼしているということのイメージ図である。
なお、多くの疾患において、疾患を引き起こす遺伝的要素は、必ずしも一つのSNPで説明することは出来ず、多数の遺伝子の影響を受けることがわかっている。そのため、数個のSNPを分析するだけでは、疾患や体質についての遺伝的背景を説明するには不十分である。
(2)GWAS(genome-wide association study:ゲノムワイド関連解析)
疾患リスクに関する遺伝子研究のブレイクスルーとなったのが、数百万ものSNPの組み合わせに応じて(多遺伝子をもとにした)リスクをスコアリングするGWASである。これにより、多因子が影響する多くの疾患において、一つ一つの遺伝子が与える影響はそれほど大きくない、つまり個別のSNPが単独で発症リスクを高める効果は小さいということがわかってきた3 。
また、解析技術の進歩により低コスト・短時間で大量の遺伝子情報を解析することができるようになったこともあり、数千もの遺伝子情報に基づいた多遺伝子リスクスコアを計算するアルゴリズムの構築が進んでいる。多遺伝子リスクスコアにより、心疾患や糖尿病などの発症リスクが平均よりも3倍以上高い方々を特定できるようになっているなど、遺伝的要因による疾患リスクを明らかにする研究も進んできている4 。
さらに、例えば糖尿病に関して、GWASによって「遺伝的ハイリスク群」とされた方々に発症前から生活習慣介入を実施すると、ハイリスクでない方々との発症率の差がなくなることも報告されており、GWASは予防の立場からも期待されている5 。
(3)次世代シークエンサーの登場による解析技術の進展
2000年代半ばに米国で登場した次世代シークエンサーは、塩基配列を並列に読み出せるDNA断片数が従来に比べて桁違いに多く、全ゲノム配列を低コスト・短時間で解析することを実現した。
①癌ゲノム解析
次世代シークエンサーは癌研究を大きく進展させている。癌組織からDNAを抽出して、同じ個人の正常細胞の全ゲノム配列がどのように違うかを解析することで、有効な治療方法を選択できるようになってきている(Precision Medicineと呼ばれるものである)。
我が国においても、標準的な治療がない/終了しているといった癌患者を対象に、分子標的治療薬の選択に直結するような遺伝子検出を可能とする、「遺伝子パネル検査」が先進医療として行われている6 。
②全エクソーム解析
全エクソーム解析とは、ゲノムのうち、タンパク質に翻訳される領域であるエクソン部分のみを取り出して解析を行うものである。エクソン部分は、単一遺伝子疾患の原因遺伝子および疾病に関わるSNPのうち、85%を網羅できていることから有用性が高く、低価格化が進んでいるとはいえ費用がかさんでしまう全ゲノム解析(1,000ドル程度)に比べても低コストである7 。
Vitalityプログラムで有名な南アフリカの保険会社Discoveryは8 、わずか250ドルという低価格9 で全エクソーム解析の遺伝子検査を提供している。遺伝子検査を受けた加入者は、自身のDNAに基づいた疾病リスクや健康を改善するための戦略など、ゲノムに関する包括的なレポートを受け取ることができ、健康増進活動に役立てることができる10 。
3.新たな人種間格差の可能性
上記のように遺伝子解析技術の向上によって、疾患リスクの予測精度が高くなってきているが、多遺伝子リスクスコアを計算するアルゴリズムの作成に用いたDNAデータベースには「偏り」という課題がある。
【出典】Alice B. Popejoy, et al, “Genomics is failing on diversity”.
2009年には多遺伝子リスクを分析するためのGWAS参加者の96%がヨーロッパ人の子孫であることが判明、2016年の継続調査においても81%がヨーロッパ系であるなど、DNAのデータベースには明らかにヨーロッパ系・白人への偏重が生じている(図表2参照)。
2009年からの7年間で、ヨーロッパ系ではない参加者の割合は5倍に増加しているが、この増加の80%近くは、日本、中国、韓国、インド、その他のアジアの国々の参加者数の増加によるものとなっている。一方で、アフリカやヒスパニック系等の人々については、分析した全サンプルの4%未満でしかない12 。
人種・民族等の集団ごとに疾患ごとの発症率には差異があり、それには遺伝的差異が影響していると考えられている。例えば糖尿病に関して、その他の地域では見られないような遺伝的変異が、メキシコにおいては25%という高頻度で起こっている。
このため、データが不足している集団の人々にとって、遺伝子検査の解析結果の精度が低くなる可能性がある。実際、遺伝子検査結果の解釈が偏ったデータベースやそれに基づいた研究を用いて解釈されるため、非ヨーロッパ系の人々の遺伝子診断の偽陽性および偽陰性の確率は高くなっているという13 。
また、疾患リスク等の予測の正確性に鑑みると、偏ったDNAデータベースに基づく遺伝子検査サービスは、特定の人種や民族の人々にしか提供されないという現象が生じてしまう。現に、Myriad Geneticsの新しい乳癌リスク検査やAmbry Geneticsの前立腺癌リスク検査などは、ヨーロッパ系の人々にのみ提供されている遺伝子検査サービスである14 。
4.おわりに:遺伝子検査の恩恵を全ての人に
多遺伝子リスクスコアのアルゴリズムなど遺伝子解析技術の進展により、疾病リスクの予測精度は大きく高まっている。標準的な治療の一部として多遺伝子リスクスコアを導入することを、医療業界が検討し始めるべき時がきたとの声もある15 。
また、優れた治療を誰もが受けられるという公平性の観点からも、多様な人種・民族の遺伝子データベースを構築すべきである。GWASで用いる分析キットは一般に100ドル以下と廉価であり、コスト面での障壁は乗り越えられないほどのものではない。新たな人種間格差を生み出さないよう、Precision Medicineが本格的に臨床現場で定着する前に、DNAデータベースの偏りについて是正されることが求められていると言えるだろう16 。
また遺伝子検査というと、保険会社は逆選択17 を連想しがちであるが、遺伝子検査結果を引受査定に用いることが認められない限りにおいて18 、高度な多遺伝子リスクスコアに基づく逆選択を防ぐことは難しいと考えられる。保険会社は、Discoveryの取組みにみられるような、加入者の健康増進意識を高め、加入者がより健康的なものへと生活スタイルを変化させることをサポートするという考え方を、より強く持つ必要が生じているのかもしれない19 。
Direct To Consumer遺伝子検査の略で、業者が直接消費者に提供する遺伝子検査のこと。
MIT Technology Review, “2017 was the year consumer DNA testing blew up”. Feb 12, 2018.
一般的に、多くのSNPにおいてリスクは1.3倍程度の範囲内であると言われている。例えば、男性が最も多く罹患している胃癌であっても、年間の罹患者は10万人のうち約140人(0.14%)にすぎず、1.3倍というものの影響度はそれほど大きくない(罹患率データについては、国立がん研究センターの「がん情報サービス」を参照した(Visited Jan 28, 2019))。
Amit V. Khera, et al. “Genome-wide polygenic scores for common diseases identify individuals with risk equivalent to monogenic mutations”. Nature Genetics, volume 50, 2018.
安田和基「遺伝素因と環境を考える 1)糖代謝異常の罹患体質を考える」『日本内科学会雑誌』105巻3号(2016年)
例えば、東京大学記者発表資料「がん遺伝子パネル検査『Todai OncoPanel』の臨床性能試験を先進医療で開始」(2018年10月4日)参照。なお、Todai OncoPanelに関する費用は915,000円+入院や外来診療に係る保険診療費用となっている。
Bahareh Rabbani, et al. “The promise of whole-exome sequencing in medical genetics”. Journal of Human Genetics, volume 59, 2014.
DiscoveryおよびVitalityプログラムについては、総研レポートVol.67「保険業界のデジタル化の現状と取り組み ―行動特性データにリンクする医療保険―」(2015年9月30日)で紹介している。
米国のDTC遺伝子検査について調査・比較した記事によると、23andMe による69万のSNPを解析する遺伝子検査は199ドル、Genosの全エクソーム解析は499ドル、Veritas Geneticsの全ゲノム解析は999ドルの費用がかかる(Science News, “What genetic tests from 23andMe, Veritas and Genos really told me about my health”. May 22, 2018.)。
Financial Times, “Discovery and Human Longevity aim to shape health with genetics”. Sep 22, 2015. なお、解析を実施するHuman Longevity, Inc(HLI)は、再保険会社SCORとも提携している。HLIとSCORは全ゲノム解析、全身MRI、血液検査、心電図検査などを含むさまざまな検査と、遺伝的素因に関連した検査を組み合わせることで、個人の健康リスクプロファイルを作成し、健康増進に役立てるとしている(Human Longevity, Inc Webサイト, “SCOR GLOBAL LIFE PARTNERS WITH HUMAN LONGEVITY, INC. TO BRING DATA-DRIVEN HEALTH INTELLIGENCE TO LIFE INSURANCE POLICYHOLDERS”. Aug 29, 2018.)
水島-菅野純子、菅野純夫「次世代シークエンサーの医療への応用と課題」『モダンメディア』57巻8号(2011)
Alice B. Popejoy, et al, “Genomics is failing on diversity”. Nature, 538(7624), Oct 13, 2016.
MIT Technology Review, “DNA databases are too white. This man aims to fix that”. Oct 15, 2018.
MIT Technology Review, “White-people-only DNA tests show how unequal science has become”. Oct 18, 2018.
Nature Medicine Editorial, “GWAS to the People”. Nature Medicine, Vol. 24, 1483, Oct 2018.
前掲脚注 12
逆選択とは、自分がハイリスクである(不健康である)と認識している人の方が、(そのように認識していない人に比べて)保険に加入しようとする傾向があるということ。これが加速するとローリスクの加入者の保険料が高くなる、保険会社の収支が悪化するなど、保険制度の運営に支障をきたす懸念がある。
ゲノム情報に基づく差別や保険分野での情報の取り扱い等に関しては、各国において様々な規制が定められている(総研レポートVol.68「ゲノム情報の活用をめぐる動向-実用化推進にむけた取り組みと諸外国における保険分野への規制-」(2016年3月31日))。
引受時に逆選択を防げなかったとしても、例えば糖尿病において発症前から生活習慣介入を実施することでハイリスク群とそうでない方々との発症率の差がなくなるのであれば、保険加入後の健康増進活動によって保険料を変動させ続ける「継続的UW」をとることで、逆選択による影響を最小化させることが可能かもしれない。